豊臣秀吉と囲碁

豊臣秀吉も信長と同じように碁を打ちました。
天正十六年、関白になった秀吉は碁会を開催し、抜群の成績を収めた
日海上人(本因坊算砂)に二十石十人扶持を与えました。
また、秀吉が碁の戦略機略を武人の趣味として推奨したことから、
多くの武将が碁を打ちました。
秀吉も本因坊算砂を囲碁の師とし、五子で対局したとのことです。
戦国一の出世頭と評された秀吉がどのような棋風であったかわかりませんが、
残された言葉には、秀吉の囲碁の戦略的思考が垣間見えます。
「戦は六、七分の勝ちを十分とする。」
2013年7月1日